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  志芸の会公演 ■第二回 新春を寿ぐ「翁」と「狂言」の会  
 
     
 
     
 
     
 
         
 
  新世紀の《翁》
 

 中世から近世へと時代が変わろうとしている天正二十(一五九二)年九月、大蔵流宗家十一世虎政は山城国和岐神社(現在の相楽郡山城町の涌出宮)で勧進狂言を行っている。初日の初番にまず演じられたのが《翁》である。このように《翁》は常に魁(さきがけ)である。
 
 
 最近では神事ごととして翁を専門に演じるグループが観阿弥・世阿弥のころの能楽の劇団成立以前に存在していたこともわかってきている。
  

 静かに耳傾ければ、揚幕の向こう側から火打石の音。
 鏡の間(かがみのま)では祭壇が設けられ、最上段には御神体すなわち面を入れた面箱が祀られている。その前で演者たち一同が盃事(さかづきごと)を行う。
 

 幕が開く。先頭は面箱持。地謡はいつもの地謡座に位置しない。鼓も三丁。久田舜一郎氏が頭取(とうどり)。
 「どうどうたらり」の謡が始まり、まず千歳(せんざい)が若さ一杯に舞う。いわば露払いである。翁は金春晃實氏。もともと狂言の大蔵流は能の金春流の座付(ざつき)であった。常に行動を共にしてきた。系図を辿れば縁続きでもある。東京は品川区の禅寺清光院に大蔵家の墓と金春家の墓が背中合わせであることもそれを語っている。
 

 三番三(大蔵流での書き方)は忠重氏ご子息忠亮氏。
 披キ(ひらき)である。習い事を初めて演じられる。
 本日のために精進潔斎(別火)されてきたはずだ。
 

 揉(もみ)の段は体全体を使う。烏(からす)飛びに注目したい。鈴の段は黒式尉面をつけ、おごそかに神楽鈴をボレロのように高める。二十歳(はたち)の若者に祝福あれ。
 《酢薑》に善竹家とこれも縁続きの茂山忠三郎氏が応援に駆けつけられたのは、花を添えられ、うれしいことである。
 いつの日かこの方々を含めて大蔵流総出演の勧進狂言が涌出宮で再現されんことを私は夢見ている。
 
 
 
  文 関屋俊彦氏 (関西大学教授)  
 
 
 
   
         
   
 
 
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