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  志芸の会公演 ■第七回 新春を寿ぐ「翁」と「狂言」の会  
 
     
 
     
 
 
 
  申楽の《翁》
 

 おめでとうございます。
 もうお参りは済まされましたか。昨年から新年にふさわしく湊川神社での奉納。すがすがしい気持ちで《翁》に向かい合えます。ここは東京大曲にあった観世会館の舞台を昭和四十七年に移築されたと伺っています。
 

 世阿弥は当時「猿楽」と書かれていたのをあえて「申楽」と書きました。それには様々な意味が込められています。まず「申」は音通で「さる」と読め、自分たちの藝能は単なるものまねではないのだとの意識があります。次に返り点を付ければ「楽しみを申す」と読めます。観客と演者の一体感。感動、和の精神ですね。そして、なによりも元は「神」の字だったというのです。神に奉仕するのが能楽だというのです。《翁》につながります。『風姿花伝』第四神儀に書かれています。「申楽」は、どうも世阿弥の造語といってよいもので、それ以前に用例はありません。昨年、演じられた高林白牛口二氏が、どのような能を演じる時も《翁》を演じる時の気持ちで演じると書いておられたことも思い起こされます。本日の《翁》は金春穂高氏。第二回目に父君の晃實氏が演じられています。月日は流れ、思いの深い《翁》になることでしょう。
 

 今年は大変珍しい、めでたい脇狂言ふたつが並びました。
 《鎧》は《末広がり》に似て、鎧を知らないまま都のすっぱに反故を買わされる話。鎧の語りが聞かせどころで、観客としては大河ドラマの「義経」や大三島に奉納されている華麗な鎧などを思い出されるとよろしいでしょう。鬘桶に入っていたのは鬼の面(武悪)で、 主人は怒って叱りつけますが、幕の内では多分許しているのでしょう。忠三郎氏を見ているとまさに心の広い果報者を彷彿させますので。
 

 《大黒連歌》は《福の神》と似た趣向。『天正狂言本』にも見られる曲です。連歌は脳の訓練にもよろしい。最近はインターネットでも開かれていますので参加されてはいかがでしょうか。
 
 
 
  文 関屋俊彦氏 (関西大学教授)  
 
 
 
   
         
   
 
 
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